コメント:(memo) ※在庫切れです※・声のみを使って2017年夏に録音されたPhewの最新アルバム。ミックスとマスタリングはDowserの長嶌寛幸が担当。 収録曲:1. very cloudy くもった日 2. just a familiar face 顔だけ知っている人 3. white lounge, so bright 白いラウンジ 、明るい 4. nice weather いいお天気でした 5. in the doghouse 困っています 6. scat スキャット 7. let’s dance, let’s go 踊りましょう、行きましょう 8. at the end of a long day 長い一日の終わり 9. sonic morning 音の朝 ■Voice Hardcoreについて -Phew- 声だけで作品を作れると思ったのは、1980年、はじめてのソロシングル「終曲」の録音時です。自分の声をダビングすると、メロディ、ハーモニーやリズム、音響技術の文脈で語れない全く違う世界が立ち現れました。声で絵を描けると思ったのはこの時です。 もちろん、37年間、ずっと考え続けてきたわけではありません。録音をするたびに、ライヴをやるたびに、そのアイデアは、消去法で更新されていきました。例えば、以前、ライヴの最中に偶然喉が鳴ったことがあります。意図せずに低い倍音を安定して出す方法を自分の体が見つけてしまいました。また、経験を積んでいくうちに、複雑なメロディを聴き分けることや、バンドを始めた頃には出せなかった高い音域の声を出すこともも訓練によって、できるようになることを知りました。出来なかったことが出来るようになるのは、単純に嬉しいし、新たな技を身につけると、それをよりブラッシュアップしたくなります。ですが、自分がやっているのは、スポーツではなく、音楽です。なので、技術を追求すること、変わった声、面白い声を出そうとする試みは、敢えて、自分に禁じました。 このアイデアは長い間温め続けてきました。が、制作する直接のきっかけになったのは、今年のツアー中に体調を崩したことです。重い機材を運べない、セッティングをするのも困難な中で、自分の身体一つで音楽をつくれるだろうかと思いました。それは、同時に「音楽とは何か」という正解のない大きな問いで、作品の独自性と個人の可能性について考える機会でもありました。 私にとって、耳障りの良い音は、たとえそれが「実験音楽」であっても、その「心地よさ」は、大方、過去の記憶、これまでに耳にしたことがある音に依存しています。この音は**が××で使っていたシンセだとか、このエフェクターを使うと**の音の処理に似たものになるだとか、そうしたオタク的喜びと快感が近年、電子楽器を使って音楽を作っていく上での原動力の一つになっていました。また、新たに発売される機材の情報も夢中で追っていました。が、そういったこと全てが、体調を壊して、空虚なことに思えたのです。 このアルバムは、これまで聞いたことがない新しい響きを自分の身体だけを使って作る試みです。こうしたことを試すには、プライヴェートな環境が必要でした。録音エンジニアがいるスタジオでは出来なかったと思います。 自室で普段ライヴで使っている簡素なエフェクター、ヘッドセット・マイクで録音しました。音質は決して良いとは言えません。が、それも「響の」一つだと私は考えています。 録音時の不要なノイズを取り、時にそのノイズを生かしながらの長嶌寛幸によるミックス、マスタリングもこのアルバムの完成に大きく貢献しています。 声だけでアルバムを作ることを思いついたのは37年も前ですが、実現するまでにはテクノロジーの進化と自身の経験を積むことが必要でした。実際に作業に取り掛かってみると、アイデアが一気に溢れ出し、3日間、延時間にして8時間前後で、アルバムは完成しました。 ■松村正人によるVoice Hardcore解説 『Voice Hardcore』はタイトルとおり声をつきつめたアルバムである。声だけでできている。とはいえ独唱やアカペラのたぐいではない。声と、声を加工した音だけで構成したアルバムである。ここでは歌はことばと声とメロディに分化し、意味と旋律を剥ぎとられた声そのものを積分し全体がなりたっている。いや、そのような図式的な構想があったわけではなかった。録音は今年7月、彼女の自宅の一室でおこなった。事前に曲のストックがあったわけではなく3日かけて一気にとったが構想そのものは37年前にすでにあった、とPhewはいう。37年前といえば、1980年、ファースト『Phew』をパス・レコーズから出す直前にあたる。アーント・サリーからソロ活動へふみだしばかりころ、Phewの念頭にはすでに声だけのアルバムの構想があったということになる。というより、ひとりになることと声がのこることはPhewにとって同じことだったということか。前述のインタヴューではまた、80年代は歌の練に費やしたようなものだったと述べている。そうすることで、声の出し方を体得した。空気の通り道である喉を細くしたり太くしたりすることで音高を調整する。以前は高い声は出せなかったのだけど、あるときその感覚をつかみできるようになった。37年の時間は、意図するとせざるとにかかわらず、そのような経験値を積むための期間であり、ようやく機は熟しPhewはまったき空洞になった。 という言い方が正しいかどうか、みなさんは『Voice Hardcore』を手にとってたしかめられたい。